「現存する最古の左官現場はどこ?」このテーマ面白そうだね。ちょっと調べてみようか、と街建コラムの編集会議で決まり、軽い気持ちで調査開始。
ごめんなさい、後悔しかありません。まさかこんな大変だとは思っていませんでした。
やみくもに街を歩いても見つかるわけもないので、文化庁(有形文化財(建造物))にも問い合わせを入れてみたが、公開までに回答をいただくことはできませんでした。
そこで、別件で来社されていた月刊誌建材フォーラムを発刊している工文社のT氏を発見!質問してみました。
工文社と言えば、「左官総覧」「建築仕上年鑑」「建材フォーラム」「建築仕上技術」など、建築材料や建築技術、設計などをメインテーマにした斬新かつ独創的な出版社です。以前街建も広告を出させていただきました。
話を戻してT氏に質問。「現存する最古の左官現場はどこだかわかりますか?」ストレート過ぎ(汗)
T氏「左官の現場という前提で考えるなら、大陸より仏教伝来と共に伝わった飛鳥時代か奈良時代あたりでしょうね。
例えば飛鳥寺や法隆寺などですかね。その後に宮廷に入るための官職として左官という名称が生まれたと言われていますので(色々な説があります)、現存最古の現場となるとその時代の建物かと。」
良いヒントをいただきました!ってほとんど答え!?これで終了...、という訳にはいかないので、頑張って調べます。
まずは左官の定義から考えないと話は始まらない。
左官に限らずということであれば、以前千葉市緑区にある大膳野南貝塚の集落跡(縄文時代後期の初頃 約4,000年前)で漆喰が発見されたという玉川文化財研究所の発表があったので、そちらが最古になるのでしょうか。
すでに大型家電店のケ◯ズ電気が建っているので、残念ながら現存していません。ということで、まずは「左官とは?」から調べてみました。
1901年創業のヤブ原が昭和35年(1960年)に発行した左官辞典で調べてみると、このような説明がされていました。
「壁を塗る職人」しゃくわん。泥工。
王室の修理が必要な時、無官の者は皇居に出入りする事ができなかったので、泥工に木工寮の属(さかん)の役目を与えて出入りを許可し、工事をさせたという。泥工(でいこう。かべぬり)の異称。引用元:改訂 左官辞典・株式会社ヤブ原出版部
語源由来辞典で調べてみると、もう少し詳しく載っていて、
左官の語は、平安時代に遡る。
平安時代には、宮殿の建築や宮中を修理する職人を「木工寮の属(さかん)」と呼んだ。
属(さかん)は、律令制で各官庁の階級を「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」と構成した四等官のひとつである。
壁塗り職人は木工属に任命され、出入りを許可されていたことから、「さかん」と呼ばれるようになった。(語源由来辞典 左官)
とあるが、わかりにくい。
まず宮中ってよく聞くけど何?ということでWikipedia先生に聞いてみました。
宮中(きゅうちゅう)とは、宮殿の中を指す語である。とりわけ皇居のことを指すことが多い。また神社の中や境内を指すこともある。
では、律令制とは?同じくWikipedia先生お願いします。
律令制(りつりょうせい)とは、日本で、中国唐朝の律令を取り入れ法体系を整備し、それに基づいた国家制度・統治制度を指す。7世紀後期に始まり10世紀頃まで実施された。
開始後約100年間(8世紀後期まで)は経済・軍事に関しては制度にほぼ忠実に従った国家運営が行われた。
簡単に言うと、一般人には入ることが許されない宮殿内に入るため、官位をもらった職人ということでしょうか。
宮中で最古と言われ、よく聞くのが奈良の飛鳥寺(法興寺)と大阪の四天王寺。
用明天皇2年(587年)に建てられた飛鳥寺は本格的な伽藍(がらん)(寺院または寺院の主要建物群)を備えた日本最古の仏教寺院といわれていますが、養老2年(718年)に現在の奈良市に移転して元興寺(がんごうじ)になっています。
元々あった飛鳥寺は、本元興寺(ほんがんごうじ)として存続していたようですが、仁和3年(887年)に消失したという記録が残っています。
推古天皇元年(593年)に建てられた四天王寺は、飛鳥寺と同様に日本最古の仏教寺院。
四天王寺は、承和3年(836年)の落雷、天徳4年(960年)の火災、応仁の乱(1467年-1477年)での大内政弘による放火、天王寺の戦い(1576年)での織田軍による放火、大坂冬の陣(1614年)での焼失、室戸台風、大阪大空襲などの度重なる災害と戦の度に再建されています。
となるとやはり、推古15年(607年)に建てられた「法隆寺」でしょう。
法隆寺には、五重塔と金堂のある西院伽藍(さいいんがらん)と夢殿のある東院伽藍(とういんがらん)があり、 西院伽藍(さいいんがらん)が現存する木造建築物群が世界最古と言われています。
法隆寺も他と同様何度かの火災にあっていますが、全焼するような大火災にはなっていないようです。
ということで、現存する最古の左官現場は法隆寺とさせていただき、少し古い画像ですが、法隆寺を見てみます。
1438年に再建された南大門の両脇に広がる築地塀。
この築地塀は耐久性が高い焼杉板を基礎にして粘土質の土で仕上げたようです。
築地塀についてはコチラを参照ください。
歴史を感じる壁ですね。
画像でも粘土質なのが伝わってきます。工法的には版築のようですね。
版築についてはコチラを参照ください。
中門から入ると金堂、五重塔が目の前に広がります。迫力ありますよね。
五重塔と言えば法隆寺ですよね。
以前七重の塔というFacebook投稿をしたことを思い出します。
金堂、五重塔の周りには回廊があり、壁は漆喰で施工されています。
ということで、「現存する最古の左官現場はどこ?」については、左官職人が施工した現在残っている一番古い建物ということで、奈良の法隆寺 西院伽藍を紹介しました。
ちょっと待って!
補修などで当時のものがそのまま残っているわけではないので、現存する最古の左官現場ではないのでは?
ドキッ!
おっしゃりたい気持ちもわかります。残念ながら、そこまで調査することができませんでした。
もしご存じの方がいらっしゃいましたら、お問い合わせのフォームからコッソリと教えていただけると幸いです。
西院伽藍から東院伽藍に向かう途中に見かけたこの壁、案外こういうのが補修されていない最古のものだったりして...
ちなみに法隆寺の事を左官辞典で調べてみると、このような説明がされていました。
創建は飛鳥時代推古天皇15年(すいこてんのう。607年)、再建は和銅(わどう。708-715年)年間と見られている。
当時は金堂、塔、中門(ちゅうもん)、講堂、回廊、東西室、食堂(じきどう)、細殿(ほそどの)、上堂(じょうどう)、西円堂(さいえんどう)からなる大規模のものであった。
すべて現存している。