《第17回 街建コラム》都内でみかける左官の風景

いままで何気なく通っていた道も、何かを知ってみると風景が変わって見える。そんな経験をしたことはありませんか。 今回の街建コラムでは「都内でみかける左官の風景」を探しに散歩してきました。

──都内でみられる『築地塀』

今日の目的は『築地塀』の散策です。ちなみに「築地塀」は『ついじべい』と読みます。築地塀は、粘土を築きあげて造った塀のことで「築き泥(つきひじ)」の略と言われているようです。 築地塀にはその造りによって幾つか種類があり、土が層になっているのが特徴の「版築」、京都御所の外壁にみられるような「筋塀」、水平に並べた瓦と練り土を交互に積み重ねた「瓦塀」(瓦垣)などがあります。今回は「築地塀」の中でも特に『瓦塀』を紹介したいと思います。

──谷中・観音寺の『築地塀』

ここは下町、レトロな風情がそこかしこに感じられ、谷中銀座商店街で有名な町です。都内では神社仏閣が多いことでも知られています。浴衣や着物姿でスイーツを求めて谷根千散策なんて方もいらっしゃるのではないでしょうか。そして谷中の「観音寺」で見られる『築地(ついじ)塀』に向かいます。

まずこちらは観音寺、正式には「蓮葉山 妙知院 観音寺」といい、慶長十六年(1611年)に創建されました。寺内では『忠臣蔵』で有名な赤穂浪士達の会合が行われていたと伝えられており、「赤穂義士ゆかりの寺」として知られています。境内には四十七士の慰霊塔が立っています。

さて本題、こちらの築地塀は『瓦塀』(瓦垣)と呼ばれるタイプのようですね。 山門がある正面の通りを右に曲がるとその築地塀があり、まず目に飛び込んでくるのは、「目地の白」と「瓦の黒」とのコントラスト。それが南側の壁面約37メートルに亘り、細い路地を奥へ奥へと続きます。実際目にしてみるとなかなかの迫力です。 歴史的には幕末の頃に築かれたようですね。すると1800年代中頃あたりなのでしょうか。大正十三年(1923年)の関東大震災で一部倒壊したこともあったそうですが、出来る限り元の資材を使用して修復を重ね現在の姿を残しているようです。 そこまで知ると、なるほど!こちらの築地塀は「貴重な国民的財産」とされ『登録有形文化財』として登録されています。

谷中という下町情緒あふれる雰囲気にしっくりと溶け込み、街の歴史の一部になっている様子を静かに感じることができます。

──もうひとつ歩く「築地塀」散策

さらにもうひとつ都内でみられる築地塀(瓦塀)を見て来ました。 浅草の『待乳山聖天』。「待乳山」は『まつちやま』と読み、正式には「待乳山本龍院」といいます。

こちらは境内の裏側にある駐車場からトロッコのような? ミニケーブルカーのような?? 「スロープカー」(さくらレール)と呼ばれる乗り物で境内まで上がれる楽しみがあります。

大根をお供えするというのもこちらのユニークな特徴のひとつでしょう。こちらの待乳山聖天では、「大根には体内の毒素を中和して消化を助けるはたらきがある」とし、ご供養のお供え物としては欠かせないものになっているようです。確かに本堂には沢山の大根がお供えしてありました。

そしてこちらの「築地塀」は境内でも江戸の名残をとどめる唯一のものとして紹介されており、待乳山は広重の浮世絵にも描かれているようです。 境内の築地塀越しに見えるスカイツリー、江戸・東京の新旧の姿をいっぺんに感じる贅沢な風景でした。

──最後に…

今回は江戸の風情あふれる下町谷中、浅草で見られる「築地塀」を紹介させていただきました。最後までお読みくださりありがとうございます。 歴史を感じ、風景を感じ、いままで何気なく通っていた道の壁にもちょっと意識を向けてみると案外ちがった景色が見えてくるものかも知れません。 皆さんも「あっ、こんなところで左官がみられる」などがありましたら教えてください。 またお散歩で見つけた左官の風景があればご紹介させていただきます。

──訪れた場所・参考資料

訪れた場所
観音寺: 東京都台東区谷中5−8−28
待乳山聖天: 東京都台東区浅草7−4−1

参考資料
・世界で一番やさしい左官(原田宗亮氏 著)
・左官事典(社団法人日本左官業組合連合会)
・伝統的左官施工法(一般社団法人日本左官業組合連合会)
・観音寺HP http://yanaka-kannonji.jp/wall/
・待乳山聖天HP http://www.matsuchiyama.jp/


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