不定期連載街建コラム

日本玉石インタビュー《前編》「玉石・玉砂利の専門店」《第8回 街建コラム》

日本玉石画像 ※写真は移転前の日本玉石株式会社です。
(2020年5月12日より、埼玉県和光市へ移転しています。)

街建のご利用ありがとうございます。街建のなかのヒト4号です。
今回のコラムは、街建で取り扱っている商品の製造元を訪ねて、お話しを聞くインタビュー企画の第2回です。
東京の高島平に本社を構える(現在は埼玉県和光市へ移転しています。)「日本玉石」さんを訪ねて、「玉石・玉砂利」にまつわるエピソードを田口勝己社長にお伺いしました。(役職については、インタビュー当時の役職になります。)

創業当時は、「玉石・玉砂利」の価値を理解してもらえず、非常に苦しい時代があったそうです。
そのような苦しい時代の中でも、田口勝己社長は「玉石・玉砂利」の可能性と一途なこだわりを持ち続け、現在のように「玉石・玉砂利」の価値を広めていきました。
今回のコラムでは、「玉石・玉砂利」をこよなく愛した田口勝己社長のご苦労や商品開発、海外でのエピソードについてご紹介いたします。


創立当初の頃

──今日は日本玉石さんの歴史や玉石について、仕入にまつわるエピソードなどお聞きできればと思います。どうぞよろしくお願いします。
さっそくですが、御社は昭和53年に創立された当初から「玉石・玉砂利」でスタートされたのでしょうか?

創立当初の有限会社田口砿材の頃は「佐久鉄平石」(さくてっぺいせき)の卸販売をはじめたんです。

会社設立前は、「掻き落としリシン」の原料を扱う会社にいたんですけど、床材のことも多少関係してて、床材はまあ「洗い出し用骨材」とか鉄平石とか、そういうのが主だったんですよ。

有限会社田口砿材 ※写真は創立当初の有限会社田口砿材です。

──鉄平石の卸販売から「玉石・玉砂利」に目をつけるには何か理由があってのことですか?

「洗い出し」っていうのは左官屋さんの伝統的な工法で、それは長い間、結構栄えたにもかかわらず、素材、骨材の種類が少ないんですよね。

独立する前から「なんでこんなに砂利の種類が少ないのかな」と考えてて、鉄平石で独立はしたんですけれども、砂利のほうも興味があったので「玉石・玉砂利」もやろうという気持ちになったんです。

しかも当時日本国内で、「玉石・玉砂利」の専門店って無かったんです。それで、じゃあ、やってみようかと。

玉石・玉砂利との出会い

──「玉石・玉砂利」をどのように探していらっしゃるのですか。

当時玉石では、紀伊半島の七里御浜から採れる「那智石」(なちいし)とか「白那智」(しろなち)とか、四国の高知の「本五色石」(ほんごしきいし)とかこういうものが主流でした。

砂利でいうと湘南の「大磯」(おおいそ)とか七里御浜の「御浜砂利」(みはまじゃり)とかが中心だったんですね。
それじゃあ海外で採取するのはどうだろうかと考えたんですよ。

  • 那智石画像

    天然黒玉石
    (旧:那智石)

  • 白那智画像

    天然白玉石
    (旧:白那智)

  • 本五色石画像

    本五色石

  • 大機画像

    大機

  • みはま砂利画像

    みはま砂利

当時、関東では「大磯」(玉砂利)がたくさん売れていたもんですから、地質学に詳しい人が言うには、「フィリピン海プレートで伊豆半島は押し上げられたということから、じゃあ東南アジアのほうにも「大磯」みたいなグリーンの砂利があるんじゃないか」ということで、向こうに探しに行った人がいるんですよ。

砂利に関して僕は完璧にその人に遅れをとった形で、二番手だったんです。フィリピンにあるなら東南アジアのある島に行けば、他の色の「玉石・玉砂利」もあるはずだっ…と思い、フィリピン、インドネシア等の海岸線を歩き続けました。

そしたら、たまたま大磯にほんとに良く似た砂利を見つけることができた。現地に行ってみてよかったと本当に感動しました。それで日本に入れ始めたんですよ。

日本玉石インタビュー「玉石・玉砂利の資金源」
海岸イメージ画像

苦労の中で、認めてもらえた「良質な石」

──私たちのなかでは天然の玉石といえば、日本玉石さん、という印象があります。創業当時はどのような雰囲気だったのでしょうか?

積極的に鉄平石の卸をしてた時代はね、独立して三年くらいは赤字で非常に苦しい時代でした。

当時は砂利とかは、日本でも海岸や河川に、行けばいくらでもとれるという時代でしたから、建材屋さんに売りにいっても「なぁにをそんな、1袋800円、1,000円で売るなぁ」とか、「買うわけないじゃないか!」っていうような、お叱りをうけることが多々あったんです。

それでも苦しい時代に、玉石とは違うんですけど、「Vサンド」っていう、吹き付け骨材を自分で研究開発したんですよ。
その「Vサンド」は一時期、月8,000〜10,000袋って売ってたんですよ。それが後々の「玉石・玉砂利」をやるための資金源になったと言うわけですね。

──そのVサンドはどういった経緯で開発されたのですか?

会社設立前に、吹き付け工事の大手の左官屋さんに営業にいってたことがあって、夕方6時、7時頃になると仕事を終えた職人さんが帰ってくるんですよ。すると職人さんの目が真っ赤に腫れ上がてることがあってね、「なんで目が真っ赤なんですか?」って聞いたんです。

すると「リシンを吹き付けていると骨材が跳ね返って目に入ることがある」って何人かに言われて、非常に強い印象を受けたんです。

それで会社を設立して2、3年目くらいにたまたま高島平で運転してる時に、EVA(エチレン酢酸ビニル)の端材(はざい)を山積みにしたトラックが目の前に停まってまして、それを見た時に、「これを粉砕したら、吹きつけの骨材になるんじゃないか」と、それで「目を真っ赤に腫らせていた職人さんの悩んでたことを解決できるんじゃないか」と、どっかにひっかかってたものがアイデアとして浮かんだわけなんです。

田口勝己社長

──それを資金源に「玉石・玉砂利」をスタートされて、そこからは仕入れなどで相当海外にいらっしゃっているわけですね?

20年間くらいで主に東南アジアなんですけど、延べ70箇所から100箇所くらいの海岸を見て歩いて「玉石・玉砂利」探しに没頭してきました。

フィリピンへ行ったのが最初ですけど、フィリピンは7,000〜8,000の島でね。あそこも火山で隆起したものがいっぱいありますから、けっこう行きましたね。
あとインドネシアかな。インドネシアは1万5,000〜1万6,000の島で出来てるもんですから海岸には、日本にない色の「玉石・玉砂利」が沢山ありました。

ところが「玉石・玉砂利」が商売になるということが、海外の原産地ではなかなか分かってもらえない。「どういう石を拾いなさい」とか、「こういうふるいを我々が作るから、ふるいなさい」と仕込んでいくのが大変でした。

「玉石・玉砂利」が今でこそちょっとグレードがあがってきてますけど、当時は全然メジャーじゃないわけですよ。そのへんの砂利持ってきて、「洗い出し」をやるとか・・・。でも、海外の人からお金で買うっていうのは、現地の環境関係(者)が必ず入るわけですよ。
だから環境関係の人に払って、それでその村とか島の人たちに還元していってね、お金になるんだってことになると、向こうの人も一生懸命になるんですね。

そういうふうにして、コンテナに積んで運賃かけて持ってきて、港からうちにいれて、それからの販売価格だとある程度高くなる。それを売り込むのは容易じゃなかった。お客さんにそのへんの理解を得られるようになるのが苦労だった。

あと、仕入れ面では現地に行っても日本人なんてほとんど行ったことがない島ばっかり。昔の話になりますが、東南アジアのある島では・・・セスナ機で降りるんですけど、飛行場なんてないわけですよ。草むらに降りるわけなんですが、島の一番偉い人の家の前だけコンクリートが打ってあって、あとはガタガタ道でね。
「今日は砂利を買ってくれる日本の社長が来てくれたから歓迎する」っていうのね。
村の人たちみんなが歓迎してくれるって。それが車で1時間とかで連れてってもらったわけ。
すると、左側になんだか真っ黒いものがぶら下ってるんですよ。3つも4つも。何がぶらさがってるんだと思って近づいてったら肉なんですね。
「豚の肉」なんですけど真っ黒なんです・・・なんで真っ黒なのかなと思ったら、もうこびりついてるんですよハエが!こびりついてて!それでこちょこちょこ動いてるんですよ!
そういうのをせっかく用意してくれたんだから食べないとね・・・あと、目の前の海に飛び込んで貝をとってきたから、食べろ食べろってね。
そういうので腹こわしたり、じん麻疹とかね、そういうことを島行くたびにやっててね、そっちが一番苦労しました・・・。

──そういった苦労の中で良質なものを仕入れられるようになって、次は、「日本玉石さんの石は良質だよ」って日本国内で皆さまに知ってもらうにはどのようにされたのでしょうか。

先ほど申しました通り、コストをかけて輸入する分、当時は販売価格が国内品よりある程度高くなっていた。それを売り込むのは容易じゃなかった。
当時はいわゆる浜から持ってくるものでも1袋150円や200円とかで、めっちゃ安い値段であとは運賃だけだとか、皆さんそういう感覚ですよね。

ところが、独立してから4年目か5年目くらいに、ある建材商社さんの名古屋の所長さんが昔からの知り合いで、彼に「なんとかうちの石、扱ってくださいよ」と話しをしたら、「いいよ!」ってことになって名古屋で在庫してやりだしてくれました。

それからタイミングよく、その所長さんが今度、東京の課長になったんですよ。
そしたら「東京でも売ってやる」ってね。
それからもう全国の建材店さんと細かくお付き合いしているその建材商社さんを通じて、カタログを配ることで、左官屋さんにも広がる。
そうすると、左官屋さんが「この石きれいだな」っていうので「洗い出し」をやってみようかと、そこからだんだん普及していきました。

日本玉石インタビュー「もうこれで天下取った(笑)」

石の名前は「直感」で付ける

──普及してきた後、良質な物を採り続ける難しさってあるんですか?

そうですね。やっぱり自然の物ですから有限なんですね。
「玉石・玉砂利」は、火山なんかで溶岩が河川をとおって流れてきて、海岸におりてきて、波の満ち干きで丸まっていく。「那智石」ぐらいになると800〜1,000年かかるわけですよ。(那智石は現在「天然黒玉石」という名称で販売しています)
海底火山からでてきたものとか、地殻変動で岩石がばらばらになったものを、弱い部分を削り取ってできたものが玉石なんですよ。

ところが、創業から10年、15年した頃から、最初に広めてくれたその商社さんと「玉石研究会」という会議を時々やってたんですけど、そういう時に「年に1、2品、新しい砂利をラインナップしてくれ」と言われました。
そういうことから年々増やして、今の70種類とか80種類くらいの石ができたわけですよ。

  • 緑花石画像

    緑花石

  • 雪華石(旧:雪華白那智)画像

    雪華石(旧:雪華白那智)

  • 牡丹雪画像

    牡丹雪

  • 南部画像

    南部

  • 桃山画像

    桃山

──その中でも「緑花石」(りょっかせき)とか、「雪華白那智」(せっかしろなち)、「牡丹雪」(ぼたんゆき)など、綺麗で、ちょっと粋なネーミングが多いんですけど、あれは、どのように名付けているんですか?(雪華白那智は現在「雪華石」という名称で販売しています)

名前は全部僕(田口社長)が付けてます。
石を見た瞬間のイメージとしてね、緑花石なんか「緑花だな」って思うでしょ。

今は採っている産地はちょっと違うんですけど、当時、東南アジアのある島で緑花石のある浜にいったときは、「もうこれで天下取った(笑)」と思うくらい感動した。
丘の上から海岸線を見たときに、あのグリーンの石がダァーーーッとあるんですよ。
山が海岸の裏のほうにありまして、そこからもう何千年か前に流れ落ちた石のおかげで、おかげさまで儲けさせていただきました・・・(笑)

砂利ではね、「商標登録とっておけばよかったな」って思うのがありまして、実は「南部」(なんぶ)なんですよ。「南部砂利」はこんなにヒットするとは思わなかった。
これを海岸で見たときに、南部鉄瓶の「錆び」をイメージしたんで「南部」っていう名前にしました。
その隣の島にいったときは「南部」にピンクとグリーンの石が混ざったものがあって、桃山時代の華やかなね、衣装をイメージしたんで「桃山」と・・・。

あとは、「和空(わくう)」、和空玉石。

和空玉石画像 ※写真は和空玉石です。

水を吸って太陽光線によって蒸散化効果で、もやもやっと水分が蒸気となって、環境を和らげる、つまり「空気を和らげる石」として「和空玉石」と。これはもうどこも真似できない。商標をとっちゃったから。

ネーミングはその石によって、どういうふうな砂利ですかって聞かれとき、「そりゃこういう石だ」と言えるような名前にしています。ネーミングのときに自分の直感で感じて付けた名前だとだいたい忘れない。

店や住まいは都会でありながら、石の名前つけるときにはあらゆる自然環境のことを考えながら名前付けするから、風流ですよね。そういうのはほんとに感性だなって思います。
「この石なんて名前にしよう」とかぱっとくる。だいたいもう2、3種類は浮かびますね。そのうちの自分で一番あってそうなやつを選びます。

──ネーミングとは別に、社長が特に好きな「玉石・玉砂利」はありますか?

桂砂利画像 ※写真は桂砂利です。

それは石自体が気に入ったというよりは、現地に行って感動したのは、月並みかもしれないけど「大磯」とか、「南部」とか、「桂(かつら)」の海岸の光景ですね。

2、30ある島で、島ごとに若干づつ海岸の色がちがっている。その色が変わってくる石が「もう、ダァーーっ!」とね、あるわけでしょ。その光景には感動しましたね。

あとは、「和空」。

「和空」、これまた偶然な出会いなんです。
東南アジアのある島に飛行機で行くのに、「途中の島で燃料を入れます」って言われて立ち寄ったんですよ。その島で燃料入れるまで半日くらい休むことになって、「何時に出発ですよ!」ってパイロットが言うもんだから、その時間までコーヒーでも飲んで、・・・で、戻ってきたら…飛行機がだぁーーっと飛んでいくんですよ!あれっ???と思って・・・
「おい?!とり残されたぞ?!」ってわけを聞いたら政府の高官が島にいて2人を乗っけて行ったって。「お前たちは残れって!」で、結局残ってね・・・(笑)

取り残されて、その島でホテルを用意してくれたんです。ひどいホテルなんですけどね。そこで夕ご飯のときにマンゴーやパイナップルが出て、果汁がすごくて、切るとすぐジャージャー果汁が出るの。めちゃめちゃ美味しかった。
「な〜んでこんな美味いんだ?」って聞いたら、この島には海岸におもしろい砂利があって、その砂利を木の下にずーっと敷いてあるからだと。それはなんだろうと思って見に行ってみたら、それが今の「和空」。
「これは売れるぞ」って!
「これからの環境問題で売れるかもしれないぞ」って!

ただこの「和空」を考えたときは、気づいてやりだしたのが早すぎましたね。そのころはあまり売れなかった。ところが最近になって売れるようになりました、環境問題で。

──ところで商品化の際には、「石がみつかったから商品化する」のか、「商品コンセプトが先にあって石を探す」のか、どのようなケースが多いですか?

両方あります。
以前から言ってたんですけど、「玉石・玉砂利」については、関わってないと石や砂利なんてわからないでしょう!
10人の人にね、「おたくの庭に玉石ってありますか?」、「こういう石ってありますか?」って言ってもおそらく知らない。なんとかこちらのアイデアから普及していくかってことを考えないと・・・。


街建コラム、「日本玉石・田口社長へのインタビュー」前編はいかがでしたか?
田口社長が独立してから今日に至るまでのご苦労や商品開発、海外でのエピソードなど、大変興味深いお話しをうかがうことができました。
次回、後編は「これからの玉石の市場について考えること」、「日本玉石さんの玉石・玉砂利がみられる施工現場」、「社長のアイデアの源泉」などをご紹介させていただきます。
お楽しみに!

玉石・玉砂利の日本玉石株式会社

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